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2014-11-26
徳島中央公園
《徳島空港》
先日、徳島に行く機会があり、土曜日の朝方、徳島中央公園の園内を散歩しました。公園は、JR徳島駅北側に隣接する中心市街地にあります。
この公園は、明治39年(1906)に開園した日本で2番目に造られた西洋風近代公園で、敷島公園の改良設計にも関わった本多静六博士が設計しました。
本多博士は、この公園を設計するにあたり、ドイツの設計図集を参考にしたといわれ、この公園の園路と敷島公園の園路に、共通点があるとの指摘があります。残念ながら、現在、両公園ともその後の改良で特徴的な共通の園路はなくなっていますが、今回、この辺にあったと思われる場所を歩いてみました。結果は、想像より少し狭い範囲の園路と考えられましたが、興味深い探索のひと時でした。
《阿波藩祖 蜂須賀家政》
徳島中央公園の広さは、20haと、敷島公園(36ha)よりは狭いのですが、徳島城址を中心として、庭園、博物館、バラ園、運動施設など綺麗に整備され、多くの人が思い思いに寛いでいました。
この日は、ノルディックウオーク教室に20名以上の人が集まり、盛況でした。
バラ園のそばまで来ると「ぞめき」のリズムが聞こえました。阿波踊りの練習をしている一団です。どうやら近くの大学生らしく、おそらく来年8月の阿波踊りに向けての練習に懸命です。 河岸を走るランナーともすれ違いました。
そういえば、徳島と前橋には本多博士が関わった代表的な公園という以外にもいくつか共通点があります。
無論、共に両市は、県庁所在地であること。
次に、日本三大暴れ川のうち、坂東太郎(利根川)と四国三郎(吉野川)という大河が、公園のそばを流れていること。
また、共に日本の近代化を支えてきた産業の中心地であったこと。徳島の藍栽培による藍染は、阿波藩祖蜂須賀家政が奨励、発展し、明治時代後半にピークを迎えますが、化学染料の発明により衰退していきます。明治時代、徳島市の人口は国内で10番目だったという事実が、それを物語ります。
一方、絹については、富岡製糸場(明治5年)に象徴される製糸業の発展と軌を一にして、前橋も糸の街として明治・大正の「着物」の絹文化を支えてきた歴史があります。
まだまだ、共通点があるかもしれない。それを考えながら、徳島空港を後にしました。
《参考文献》 徳島公園(徳島中央公園)の造園設計について―日比谷公園及びザイファースドルフ城との比較― 佐藤征弥他 徳島大学地域科学研究 第2巻
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